尖閣諸島の魚釣島への上陸問題が話題になっているが、ANNニュースによると、ある議員曰く「風にあおられまして、船から落ちてしまいまして、無我夢中で泳いだ先が魚釣島だった。ーーーー」。
いい訳なのか、何なのか。
今日の
産経新聞にまた変な記事が載っている。
テレビやラジオの番組を「文化的資産」として国立国会図書館で収集・保存しようとの動きに、民放関係者は「公権力による事後検閲につながるとして、反対しているというのだ。
国会図書館に保存することがなぜ検閲あるいは公権力の圧力/介入につながるのか全然理解できない。「放送は(録画・録音で)固定されることを前提にしていない。ニュースを扱っていても新聞などとは違う」と主張しているらしいが、これは一言で言ってしまえば垂れ流ししてもその内容には一切責任を負わないということである。これが公共の電波を使っている民放の意見らしい。
今日の新聞に「下駄の雪」という表現が載っていた。初めて聞く表現なので、辞書で調べてみたが載っていない。そこでインターネットで調べてみた。あるホームページに次のような説明があった。
「下駄の歯に付着した雪のこと。・・・雪は踏まれるたびに固まり次の雪が付着して、なかなか下駄の歯から落ちることがない。自民党と連立を組んで与党の一員となり都合4回の総選挙を闘った公明党は時に自民党の政策に異を唱えることはあっても10年間一度も政権を離脱することはなく、問題があっても最後は必ず自民党に同調して閣内協力を貫き通した。こんな公明党の対応ぶり・姿勢に対し、自民党の幹部が鼻歌交じりに漏らした言葉が「踏まれてもついてゆきます下駄の雪」だった。常に庶民の味方と称し、また政権与党としての実行力を誇示し続けた公明党ではあったが、他の政権より政策的に近かいと言われた福田政権の幕引きにも手を貸すなど内実は権力志向が強く、政権の座の維持に異常なほどの執念を見せたことも事実である。・・・」(http://atsso.asablo.jp/blog/2009/09/08/4568673)
なお「下駄の石」という表現もあるようである。下駄に挟まった石のように、公明党は自民党と一体化して、離れることはないという意味だそうだ。
ワシントン・ポストによると、野田首相は「ここ数年で最も賢明なリーダー」だが、今までは「派手なだけで問題解決能力がなかった首相」ばかりが続いたと紹介している。
橋下徹氏の言動は前から話題になっているが、またあきれた発言が読売新聞に出ていた。
職員リストの捏造問題で、橋下市長は「役所や公務員の悪口を言うのが議員の仕事。組合は公務員の団体で、個人攻撃をしたわけじゃないから問題ない」と反論したらしい。
いつから、住民は「役所や公務員の悪口を言う」ために議員を選ぶようになったのか。住民に対する侮辱以外の何者でもないと思うのだが。
ホームページの「今日の引用」を移しました。
- 「一石三鳥」
菅直人首相は待機児童ゼロ特命チームの初会合あいさつで、待機児童の解消は雇用創出、女性の労働参加、労働力人口の減少食い止めなど“一石三鳥”の効果があると発言したらしい。これは効果が出ればの話である。最初から水を差すつもりはないが、待機児童の問題はかなり前から話題になり、エンジェルプランとか行われたはずである。かけ声だけでなく本当に効果を出すためには、よっぽど本腰を入れる必要がある。(2010年10月23日記)
- 「未熟なるがゆえに」
鳩山首相は3月26日の記者会見で、「未熟なるがゆえに問題点も抱えている。しかし、決して、時計の針を逆に戻してはならない。国民も辛抱強くご指導いただけますようにお願いを申し上げる」と言ったらしい。しかし「未熟なるがゆえに」は首相が使う言葉であろうか。「未熟な」首相を持った国民は泣くに泣けないのである。問題は首相が指導力を発揮してないことだと思うのだが。(2010年3月27日記)
- 「義理はチョコ、本命はパンツ」
これはバレンタインデーの贈り物だそうだ。勝負パンツも良いかな。残念ながら両方とも貰ったことはない。そう言えば、スウェーデンでの若い人はクリスマスプレゼントに恋人に下着を送るというのは聞いたことがある。しかし問題は、女性の下着売り場は男性ひとりでは買い物ができないことである。(2010年2月7日記)
- 「ここは我慢のしどころ」
新聞報道によると、追加経済対策の審議において、鳩山首相は「連立政権は難しいが、維持していくことが政権安定につながる。そこは我慢のしどころで、いかに結束を大事にしていくか腐心したい」と記者団に言ったようだ。連立政権の長である首相が「我慢のしどころ」という表現を使うことが理解できない。この言葉は内部では通用しても、外部に対して使う言葉ではない。せめて、「意見の違いがあったが、合意に達した」ぐらいの表現を使えないものか。連立政権であるからには、政治的駆け引きも存在するが、何かけんか腰の政権のような気がする。これを友愛と言うらしい。(2009年12月8日記)
- 「変身」
ウルトラマン(古い?)の話ではない。政権を取った後の民主党のことである。「朝令暮改(ちょうれいぼかい)」とも言う。変われば変わるものである。最近、小沢氏の疑惑問題でまた賑やかになってきたが、問題は小沢氏ではなく民主党の自浄能力の欠如で、自民党と何ら違いがないことを示したことである。(2009年11月7日記、2010年1月24日追記)
- 「妊娠はしておらず-------」
定期的に日本の新聞をチェックしているが、あまり芸能欄は読まない。しかし気になる一言がある。有名人などが結婚したりすれば、必ずと言っていいほど妊娠しているかしていないかが書かれる。余計なお世話だと言いたい。(2009年6月24日記)
- 「節度あるヤジ」
今日の新聞に、「節度あるヤジ」を心がけることを申し合わせたと載っていた。小学校の話ではない。党首討論の話である。いっそうのこと、ヤジをしないことを決めてはどうか。小学生の守りごとさえ守れない政治家が教育論争をしているのである。(2009年5月22日記)
- 「超一流の進学校」
株式会社立高校が岡山で開校した。構造改革特区法による学校である。年間授業時間は公立高の約1,3倍で、高校の学習内容は2年間で終え、3年生は受験対策らしい。校長曰く、「生徒の努力と教職員の後押しで、充実した教育をつくり、『超一流の進学校』をめざしたい」。教育特区とは、このようなレベルの話だったのだろうか。(2007年4月18日記)
- 「怪しげな外国人」
五輪の国内立候補都市の祝賀パーティーのあいさつで、石原慎太郎・東京都知事は福岡市の応援演説をした姜尚中・東大教授のことを、「怪しげな外国人が出てきてね。生意気だ、あいつは」などと述べたらしい。都知事の見識を疑うような失礼な言葉だが、都民から選挙で選ばれているのだから、見識を疑うのは都民の方か。(2006年8月31日記)
- 「苦悩の末に」
岐阜県の裏金問題で、1994年度の時点で4億4100万円の裏金が存在していたらしい。4億も裏金を作ったのも驚きだが、この中の約500万円を焼却したりゴミと一緒に捨てていたという。「保管しきれなくなり、苦悩の末に処分したとみられる」という県の説明である。強盗が「苦悩の末に」証拠隠滅を計るとの何も変わらない。それにしても不思議なのは労働組合もぐるだったということである。県職員は連帯して全額を住民に払い戻し、直接の関係者はすべて首にすべきだ。しかし県の監査は何をしていたのであろうか。4億というのは半端な金ではないのである。警察、岐阜県、厚労省の職員にしろ、公務員のモラルはここまで落ちたのであろうか。(2006年8月3日記)
- 「ウソはダメです」
「ウソをついては駄目」というのは、普通、親が子供に言うものだった。最近は、社会保険庁長官が職員に向かって言わなければならないらしい。情けないというか、この世、何かが歪んでいる。(2006年5月27日記)
- 「妖怪に似ている人」
今日の新聞に、鳥取県境港市が「妖怪そっくりコンテスト」を開くという記事が載っていた。仮装した妖怪かと思ったが、そうではないらしい。実際に、鬼太郎やねずみ男、猫娘などの妖怪たちにどれだけ似ているかを競うらしい。「きっと身近にいるはず」と言うのは主催者の弁だが、鳥取県は「妖怪に似た人」が多いのだろうか。鳥取の夜は怖くて歩けない?(2006年5月16日記)
- 「改めて感じます」
政府の人口動態統計推計値の発表で、日本の人口が減少に転じたことが話題になり、毎日新聞によると小泉首相は「少子化の流れはますます顕著になってきた。この流れをどうやって止めるか、対策を打つか、改めて感じます」と述べたらしい。しかしこの文の後半は日本語なのであろうか。「改めて感じます」というのは何を感じているのだろうか。のんきな話である。(2005年12月22日記)
- 「フリーセックスの印象のある国の制度は参考にならない」
以下は週刊朝日6月18日号からの引用である。
「5月末の自民党のある会合。年金一元化のお手本であるスウェーデンの少子化対策を説明する内閣府の官僚に、自民党議員が詰め寄った。『フリーセックスの印象のある国の制度をなぜ参考にしなきゃいけないんだ』」(2004年7月30日記、2009年11月29日追記)
- 「お互い暴力は使わない」
あるホームページを見ていたら、「お互い暴力は使わない」という合意が出来ていると書いてあった。どこかの暴力団の会合かと思ったら、衆議院厚生労働委員会の話だった。(2002年6月24日記)
- 「アホ、バカ」
今日の新聞によると、東京で74回「アホ、バカ」を言って30万円の罰金になったと載っていた。1回当たりおよそ4千円である。言葉には気を付けましょう。(^_^)(2001年12月18日記)