7月17日

7月17日に関する動画を上げておきます。キャンディーズは一回も引退という言葉を使っていません。


キャンディーズ, 1977年7月17日、日比谷野外音楽堂 by MarieDubois2


TBSラジオヤングタウン東京「ラジオさよならコンサート」

キャンディーズは1978年4月4日のファイナルコンサート前の4月1日、TBSラジオヤングタウン東京で「ラジオさよならコンサート」を行った。幸いにもこのアイカーブがYouTubeで公開されている。




なお1月13日は伊藤蘭さんの誕生日、15日は藤村美樹さんの誕生日です。

キャンディーズの解散宣言

今日は7月17日であることを思い出した。
1977年7月17日、サマージャック'77と名付けられたコンサートツアーが始まった。この日は日比谷野音だったが、コンサートの終わりに、キャンディーズは解散宣言をしたのであった。この日のコンサートは1ヶ月後に放映されたようである。コンサートの一部はYoutubeで観たことはあるが、この日のコンサート全体は公開されていない(テレビで放映されたので、テレビ局には録画テープがあるはずである)。予定の32曲のうち31曲を歌ってから解散宣言が行われた。
解散宣言の様子は、以前Youtubeにアップされていたが、残念ながら現在では削除されている。唯一見つけたのが、以下のサイトである。

http://dai.ly/xd5g50

1.解散か引退か。
 当日の解散宣言において、伊藤蘭は「私たち・・・今度の・・・9月で・・・解散します!」と言っているが、「引退」とは言っていない。解散宣言の次に日に行われた記者会見において、渡辺プロダクション代表は次のように述べた。
「ーーーーーーキャンディーズが6月の24日ごろに、えーご本人達がみえまして、9月一杯で仕事をやめて引退したいと、いう申し入れをしたわけです。その話の結論といいますか、9月一杯に引退をするということに対しては、基本的に私のほうも了承しております。」
 本当に、キャンディーズは引退という言葉を使ったのであろうか。種々の発言を調べてみると、キャンディーズ本人およびキャンディーズに近い人は解散という言葉を使っているが、渡辺プロダクションおよびCBSソニー関係者は引退という言葉を使っていることである。7月17日の公演および18日に行われた記者会見において、キャンディーズは真意を説明している。しかし後日放映された番組などにおいては「普通の女の子に戻りたい!」という言葉だけが強調され、解散の交渉中であったことなどの背景はほとんど説明されていない。このようにして渡辺プロダクション側の言葉のみが引用された結果、引退という言葉が事実化された。この結果、伊藤蘭と田中好子が、後日芸能界に復帰した時には回りからのパッシングもあったようである。
 
2.解散宣言は誰も知らなかったのか。
 多くの番組では、この解散宣言が突拍子もないものだったと言っているが、これも正確ではない。当日の解散宣言自体は、キャンディーズが誰にも相談することなく決めたもののようである。しかし上記の記者会見で渡辺プロダクション側も、前もって解散の申し入れがあったことを認めている(3年契約を1年間延長して、その契約は9月末で切れる。そして契約変更はその3ヶ月前に行うことになっている。これを関係者は知っていたはずである)。そして6月24日に会合が持たれている。しかしこのような背景はどの番組でも説明しておらず、突拍子もない行動で片付けてしまった(あるいは渡辺プロダクションの手前、知っていても報道しなかった)。なおキャンディーズは6月24日の会合と同時に、10月以降の契約延長の意思はないということを郵便で送っており、10月以降の予定がすでに組まれているとかの批判は法律上の問題ではないのである(もちろん道義上の問題ではあるが、法律的責任と区別するべきである)。
後日行われたラジオ番組で、キャンディーズはこの解散宣言が前もって計画されたものではなく、当日のファンの「真剣な応援に対して隠しておけなかった」と言っている。また記者会見においても同様の発言をしている。

3.なぜ解散したか
 解散宣言での「普通の女の子に戻りたい!」という言葉は有名になり、後に制作された番組においても必ず引用されている。しかしどの番組も十分その意図を調べたとは思えない。田中好子さんの復帰会見においても、バカな質問をした女性記者がいた。
 上記に述べたように、渡辺プロダクションとの契約は3年で、キャンディーズは結成当初から「3年間はキャンディーズに賭けよう」と決め、3年経った時「ファンやスタッフのためにもう一年頑張ろう」という考えから契約を1年延長した。そしてそれが1977年9月である。
 キャンディーズは発言の真意を種々のインタビューで説明し、あるラジオ番組では以下のように述べている。「3人はいつも一緒だったでしょ。いつも頼り合って生きてきちゃったからこの辺でひとつ大人になって、1人1人の道を歩んでいこうと言ったのに…、にもかかわらず、普通の女の子という言葉だけが取り上げられちゃってネ、困っちゃうんですよ」
 伊藤蘭はある雑誌において次のように述べている。
「とにかくあの発言で問題なのは、あの言葉だけをとらえて、スターになってしまったといわれる女の子が、その座にあきて”普通に・・・”といっただけだろう、と思われていることなんです。そんなことじゃないんです。肝心なのは、あたしたちがグループである、ということなんです。グループというのは何をするにもグループが第一!グループのためには、ある時は自分を殺さねばならないでしょ?(略)だから、ここらで自分の力で歩きたいと思ったんで、個人的発展のために解散することを決めたんです」

2011年に発行されたレコードコレクターズにおいて、伊藤氏は次のように書いている。
 「もともと仲が良すぎるぐらいのトリオなのだから、メディアの原因探しは困難を極めた。ーーーーー突っ込みどころを失った矛先は、流行語にもなった「普通の女の子」へと向かう」




メッセージ・フロム・キャンディーズ


(引用はドキュメンタリー・オブ・キャンディーズ風の音楽などを参考にしました。お礼申し上げます)

2015年7月17日追加編集

悲しきためいき

1976年10月から1978年3月まで放映された『みごろ!たべごろ!笑いごろ!』で、キャンディーズは「美しき伝説」と「目覚めれば秋」の主演を務めていた。「美しき伝説」はバレーボールを、「目覚めれば秋」は柔道を題材としている。そしてそれぞれ「卒業」、「悲しきためいき」がテーマ曲であった。1975年4月にリリースされた「悲しきためいき」は隠れた名曲でもあり、シングルカットされていたならばもっと一般に知られたと思われる。個人的にも好きな曲の一つである(ハーモニーが美しい)。


「悲しきためいき」 作詞:山上路夫 作曲:宮川泰 編曲:竜崎孝路



音源は1976年10月11日蔵前国技館における『キャンディーズ10000人コンサート』。動画は同じコンサートであるが、この歌を歌っている場面ではない。

キャンディーズと洋楽


キャンディーズのライブで洋楽は定番であった。YouTubeからいくつかアップする。



♪ スティール・ウィリー
♪ プレイ・ザット・ファンキー・ミュージック
♪ キャンディ・ツイスト



♪ キャンディ・ツイスト
♪ ダンス・ダンス・ダンス
♪ イザベル
♪ スティール・ウィリー



♪ キャンディーツィスト
♪ ルイジアナママ
♪ 悲しき街角
♪ 恋の片道切符

春一番


「春一番」の季節である。「春一番」は1975年4月に発売されたアルバム『年下の男の子』に収録されているが、ファンの要望により1976年3月1日にシングルとして発売された。ライブで盛り上がる定番である。



Never My Love


The associationの「Never My Love」をカバーする。番組はNHKのレッツヤンである。画質悪し。



プロフィール

Taro

Author:Taro
OKUMURA CONSULTING社代表
Sweden

スウェーデンの社会政策などを日本に紹介する仕事をしています。
詳しいプロフィール

カウンター
検索フォーム
カレンダー
09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
最新記事
最新コメント
カテゴリ
RSSリンクの表示
リンク