強制不妊手術

 97年8月20日、スウェーデンの日刊紙の一つであるDN紙は不妊手術についての記事を載せた。これはAFP時事を通じて日本に伝えられ、日本の大新聞はすべて特派員をスウェーデンに送った。にもかかわらず、新聞に載った記事には間違いが多い。最大の間違いは、この事件は秘密でも何でもなく、少なくとも有識者、マスコミ、政治家には以前から知られ、ラジオ番組が放送されたり、研究書などが出ているにもかかわらず、日本の四大新聞はこれを秘密が発覚した事件にしてしまったことである(たとえば70年代に私が大学で使った社会政策の教科書にも載っている)。今回の記事に新しいことはほとんどなく、以前と違うのは日刊紙が連載でかなり詳しい記事を載せたこと(上記のDN誌も以前に強制不妊手術について新聞に載せる機会があったが、古い事件だと言うことで載せなかったのは有名な話である)と、海外で注目されたことなどである。このような状況はすぐ把握できるのに、新聞は情報源を調べなかったのであろうかと私は不思議に思う。日本における誤解の情報源はこれらの新聞であり、その意味に置いて新聞の責任は重大である。

 2番目には、この記事を書いた記者およびDN紙に対する批判で一番大きいのが、この事件の事実関係ではなくて、この記事の政治性である。福祉国家批判のあまり、一番重要な医学および優生学に対する批判が欠けているのである。また当時の個人と国家の関係を考えてみると、社会のためには国家が個人の権利を制限することが合法的であると思われていた。そして福祉国家であろうとなかろうと、これが当時一般的に受容されていた政治的状況なのである。だからこそ当時あるいは現在、福祉国家と呼ばれない国(例えば日本、アメリカ)でも同じようなことがなぜ起こるかということが自問されなければならない。

 3番目に、貧困の原因の理由の一つは子だくさんであった。当時、避妊法の広報が禁止されていて、非合法的な中絶およびそれによる死亡事故が大きな問題であった。もちろん今から考えれば批判されるべき行為であるが、当時は子供を世話できない人が子どもを作らないようにするのが、これが本人にとっても社会にとっても最善であると信じられていた(一部で言われているように単純な経済性ではない)。

 4番目に、この法律は国会にてほとんど全会一致で決まったものであり、今では行われた行為を正当化できないが、その説明にはなるというのが有識者の見解である。だからこそ、この報道はいっさい政治的問題になっていないのである。

 今回の報道の結果、政府の対応も早く調査委員会が報告書を出すことを決めた(報告書はSOU 1999:2、2000:20として出版されている)。今回これが話題になったのは国内的には時代の流れ、および海外のメディアが大きく報道したことで、国際的にはナチの金塊問題などで欧州における「戦中、戦後の問い直し」、および福祉国家スウェーデンでなぜという意外性、悪くいえば福祉国家のあら探しである。今回の報道が日本にとって意味があるのは、これをただ単に一時的な事件にしてしまうのではなくて、スウェーデンがこのような歴史の反省にたって、その後どのようにして障害者などの権利の強化、自己決定に力を入れてきたかを学ぶことである。

 DN紙の記事が出てから、数ヶ月間紙上に置いていろいろな議論および批判があった。第1はこの記事は学術論文でもなく、新聞記事である。このため記事の客観性に疑問が出されている。(記事の傾向および記者個人に対するコメントは控えるが、「ユダヤ人だから批判されたかも知れない」という記者の日本での発言は初耳である)、第2は福祉国家あるいは社民党と結びつけた記事の政治性である。しかしこの記事に対する議論、批判などは、わたしが知るかぎり日本では全然報道されていないし、無批判的な安易な引用が多いように思える。しかしながら、この記事がなければ政府の調査委員会も設置されなかったであろうということも事実である。(1997年記、2005年12月03日追記)
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Author:Taro
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