脱施設化とは何か

日本でも、「脱施設化」という言葉を 良く聞く。しかし多くの場合、「反施設」に陥ってはいないだろうか。そもそも施設とは何だろうか。施設が住宅になれば、施設でなくなるのだろうか。私見に よれば、施設とは行政決定なり、医師などの職務者の決定により入所するところで、それ以上のものでも以下でもない。よく施設の問題点が上げられるが、これ が本当に施設本来の問題なのか現象の問題なのであろうか。言い方を変えれば、施設のどこが悪いのであろうか。グループホームも施設なのである。日本におけ る施設政策の問題点はに、住宅政策とのリンクがないことと、住の問題を厚労省の施設政策という補助金行政で解決しようとしてきたことである。施設の問題点 として、下記の「2015年の高齢者介護」においてもいろいろと上げられているが、本質論ではない。町の中に建設されていないのは、施設自体の問題ではな くて福祉政策、補助金行政の問題である。誰がこれらの施設を認めてきたのであろうか。個人よりも集団処方になるのは介護論の問題であって、施設自体の問題 ではない。施設の水準が低いのは、住の問題を厚労省の施設政策で解決しようとしてきたことで、施設も住宅並みの水準に出来るのである。最近個室を増やす、 ユニット化などの方向性もあるが、同時に既存の施設を社会資本としてどのように発展させていこうかという議論がないことである。

 「脱施 設化」の議論の中で、住宅の問題と介護の問題が十分区別されていない。現在では、施設に置いても住居費を取れることになったにもかかわらず、根本的に施設 と住居の概念の整理がされてないように思う。つまり施設か住居かという二分化の問題ではなく、住居である施設もあり得るという四分化の問題である。さらに 施設一般に言えることであるが、ハード的に「住宅」であるということと、ソフト的に「住居」であるということの区別をしなければならない。つまりハード的 には住宅であっても(日本には住宅の定義がないと思うが)、ソフト的に「住居」であるとは限らない。「住居」であるということは、「住宅」であるという前 提条件が必要であると同時に、賃貸契約などのソフト的条件も必要である。この結果、自分の家具をもって引っ越し、死ぬまで住めるということでもある。死ぬ まで住めるということを明確にするならば、おのずから必要とされるハード面での最低条件も決まってくる。(2005年5月9日記、2006年8月28日追記)
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